ブランド名の由来について




由来について、書いたのですが
読みかえすとなんとも拙いうえ、
由来というよりは、ただもうよしもとばななさんの「アムリタ」という作品が
好きなんですよというお話になってしまいました。
この作品に描かれているように
生きていくうえで触れるうつくしいものについて愛情あつく持ちつつ、
一人称なのにどことなく距離を持って俯瞰視された印象を受けるその文体のように
ひとりよがりにならずにからっと平熱保って表現できれば、という思いなのです。
たとえばこういう文章。



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透明で、赤く柔らかで、巨大なエネルギーが、町や空気の目に見えない壁を通りぬけて押してくるような迫力だった。息苦しいほどの、生々しさだった。
一日は一日を終えるとき、何か大きくて懐かしくて怖いほど美しいことをいちいち見せてから舞台を去っていくのだ、と思い知った。実感した。
町に、自分にしみ込んでくる。なめらかに溶けて、したたり落ちる。
そういう赤が刻々と色を変え、オーロラのように展開していく。
もっとも美しく透きとおったロゼのワインや、愛妻の頬の赤、そういったもののエッセンスが、西のほうからめくるめくスピードでぜいたくに迫ってきた。
路地のひとつひとつが、ひとりひとりの人の顔が。赤く照らされては満たされていく、激しい夕焼けだった。

〜〜中略〜〜

そこにあるすべてが、手を伸ばせば水のようにすくえそうだった。つやめいた滴がぽたりぽたりとしたたり落ち、コンクリートにはねかえるとき、去ってゆく昼間の陽の匂いと、濃い夜の匂いの両方をたたえていそうだった。
あたり前のことを、こんな力を持った夕暮れでも見ない限りなかなかわからない。
私たちは百万の書物を読み、百万の映画を見て、恋人と百万回キスをしてやっと、
「今日は一回しかない。」
なんてたぐり寄せるとしたら、一ぺんでわからせて圧倒するなんて、自然とは何とパワフルなんだろう。求めてもいないのに、放っておいてもわからせる。ただでじゃんじゃん誰にでも、わけへだてなく見せてくれる。
求めてわかるよりずっとはっきりと。

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アムリタという作品の中で、
私の拙い表現では誰にも伝えきることができないと思っていた
自分にとって最も価値があると思っていることについて、
そのままぴたりと、どころかもっと豊かなことばで伝えてあったということ、
それは私にとって、喜ばしい驚きでした。
自然のうつくしさや、そのあまりの大きさゆえの底知れない恐ろしさ、
それに対する人間のちいささ、ちいささゆえのひたむきなうつくしさ。
その人間のうつくしさに寄り添うように存在する、醜さやどうしようもなく暗くどろどろした底の部分、
すべての人がその二面を持っていること。
ちいさなひとりの人間に与えられるルールにしてはあまりにも不思議で理不尽だけれど、
わざわざ奇跡的な確率でこの世に生まれてきたのに、
いつか必ず人は死に、塵ひとつ残さず消えてしまうということ。
目に見え、たしかに物理的に存在しているからだも、
実体は見えないけれどその人の本当の価値の在り場所である精神も、
いつか死んで完璧に消滅する、それはどんな人間でも徹底的に例外はないということ。
アムリタという作品には、そういうことを、
理屈でなく感覚で理解させてくれる表現がいくつもありました。





写真、何の関係もないのですけど
たまたまよしもとさんの本が写っていたので。
こういうしゃれおつなお店でよくあるできごととして
フォークだけを使ってサラダを食べなあかんのって、たいへんむつかしいですよね。
「おはし…」と心のうちでつぶやきながら
終盤、皿の上でレタスとフォークの追いかけっこを演じつつ
ものすごくがんばって食べることになります。

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